国分寺支部:辻 猛司
国分寺というのは、由緒ある地名です。聖武天皇の天平年間、鎮護国家の思想のもとに、政治や社会の不安を鎮めようと「国分寺建立の詔」が発せられ、この詔勅によって建立されたのが国分寺であり、国分尼寺であります。
この地は、下野国府方面から下野薬師寺方面へ向かっていた古代の官道(東山道)が近辺に通っており、造営にふさわしいところだったのでしょう。
さて、時代は変遷し、近隣の旧石橋町、旧南河内町との三町合併により、今や下野市となった旧国分寺町ですが、古き時代の史跡が残り、まさに歴史を感じさせられるところです。
下野市となって三年が過ぎましたが、「下野」という栃木県の旧国名を冠にいただいている市名の由来も、こうしたことを考え合わせればぴったりのような気がいたします。
合併してからは、石橋支部や南河内支部の現職会員ととともに下野市の教育に力を注いでいます。
市では、宇都宮大学教育学部スクールサポートセンターとの連携事業として「S&Uコラボ事業」を今年度からスタートさせ、市内の小中学校で大学教員を招いて授業研究などを進めることになりました。このような取り組みは、校内研修の充実を図る上でたいへん有意義だし、同窓会の現職会員としても喜ばしく思っています。
支部活動としては、主催行事を展開してはいませんが、天平の丘の薄墨桜、小金井一里塚の榎木などに見守られながら、国分寺支部会員約五十名は、同窓生という誇りと自信を持って日々の活動を続けてまいりたいと思っています。
(平成21.8)